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前職場の恩師

前職時代の恩師が故人になったと連絡が来た。

まだ60歳と若くとてもそんなことが起こるような年齢ではなかった。

これは故人を悼むものではなく単なる備忘録に近いのでマイナス面も書き起こすつもりである。

それでも一方的にわずかな思い出とともに恩を勝手に感じているので、記憶が薄れないように書き残しておこうと思った。

 

前職とは言っても僕はまだ後期研修医なので、所詮初期研修医の時の医者の役職のトップというだけで特に恩師というほどでもないのかもしれない。

彼との面識は正直あまり多くないし、向こうもおそらくそんなつもりはないだろう。

彼自身の人間性の面はお世辞でも尊敬できる点は見つけるのが難しく、研修医時代から(研修医も同院)、女性に手を出しまくり誰も結婚相手が見つからず要約見合いで結婚、その後中年になってからは同院の当時の後期研修医に手を出し…といった始末、口は悪いしできない人間は徹底的に馬鹿にする、といった素行の悪さもなかなかだった。

それでも女性を口説き落とす力はとんでもないと思われ、面前でのスピーチは必ず笑いを取っていた。話すのはとにかく上手い。

 

そんな彼と話したのは研修で放射線科を回った時くらいだ。(彼は放射線科医だった)

話すようになったのはちょうど3年前の10月に放射線科を研修で回った時だった。

放射線科でも彼はトップだったから特に彼に付いて読影をするということはない。

たまにあるレクチャーと外に連れ出される(!)昼食に同行すること、毎週出される症例のレポートを作ってチェックをもらうくらいだ。

 

放射線科回ったのは1ヶ月だったが、その時は比較的勉強した。

課題もあったが、研修医全体の課題の臨床病理検討会もあって、画像や臨床経過の解釈の相談を彼にしていた。彼は読影や臨床のひもときの能力はとても高く、有益なアドバイスをいくつもくれた。参考文献も少ない中いろいろ調べて持っていってそれなりにほめてもらえた。画像の読み方も断片的に教えてもらえたし、今も読影が楽しいと思うのは彼の教えもきっとあるのだと思う。

 

放射線科は最後に読影試験というのがあって、胸部単純写真をランダムに10枚出されて読影するというものだった。

全体的に難しく、3人の中で自分が一番できなかった。彼も僕のあまりの不出来にしばし絶句していた。

その後科を回り終わる際に書いてもらう評価表を書いてもらいに一人で読影室を訪室して、彼に試験が不勉強で申し訳なかったと謝罪した。

彼はあまりに不憫に思ったのか、自分が研修医の時も鈍くさくて挿管もまともにできなかった、急変対応も全然できなくて焦ってばっかりだったみたいな意外な話をしてくれた。

その時彼は最後に彼は言った。

「あなたは口下手でとにかく印象が悪い。でも1つのことに打ち込んで掘り下げてじっくり出来る。内科も良いけど病理とかそういうところもいいんじゃないか。ゆっくりやらせてもらえる上司のところに行った方がいい。大学の医局に入ってじっくりやりなさい」

 

今から思うと本当に当たっていたんだけど、僕は反抗してハイパー病院に就職してしまった。彼はその後1年後にメールをくれたが、すごくほめたメールをくれた。

地方会で●●君と××医大に行った時の事を覚えていますか?
あのとき、●●君より君の方がはるかに良かった。
君は言語不明瞭で、ルックスもボーッとしていて当初は大丈夫かなと危ぶんでいましたが、
賢いし、本質を見抜く目をもっていることを君が放射線科をローテイトしてくれて分かった。
君は周囲がそれが分かるのに時間がかかるタイプで、医局のようなところでじっくりと気長にそだてられると、
大きく開花すると踏んでいました。
でも、君がどのような医者を目指しているのかがよく掴めなかったので、深いとこまで踏み込んだ話はしなかったと思います。

伝えたいのは、自信を持って勉強に励んでほしいという事と、周囲がどうであろうが、君がされたように愛情もって後輩を指導してほしいという事です。

時間があれば遊びにきてください。
近況などまた教えてください。

 

このとき彼はもう病を患っていたのかも知れない。

どう思って彼が文章を書いたのかは分からないがきっと少しは心配してくれたんだと思う。

 

彼に教わった読影の楽しさを臨床に活かしていってもいいが、放射線科に変わって追求してもいいかもしれないと思った、そんな日々を自分は生きている