影響

影響という言葉は大辞林で引くと「影が形に従い、響きが声に応ずる意」なんだそうだ。この言葉を作った人はいったいどんな思いで生み出したんだろうなとふと思った。どこか「影」という一文字から負のイメージを受ける。自分の内面から来ているのかもしれないが影が従う時点であまりいい気はしない。光に照らされて影は出来るのに。

 

親という存在に育てられる以上親の影響は常につきまとう。それは仕方のないことだ。影響が良いものか悪いものか、それは自分には判断できないうちから入ってくる。社会に適応するためにはその順序はどうしようもないものだ。

影響を受けると学習する。学習しなければ死ぬからだ。

 

最初の学習は幼稚園くらいだったと思うが何か失敗をしたときに「同じ失敗を2度するな」と冷たく言われたことだ。失敗は些細なことであった気がするがはっきり覚えていない。当然種々の失敗は繰り返される。そのたびに厳しく叱責された。

 

次の学習は同じ時期だが、気分を害している場合は無言になり動作が荒くなり、自動車運転も非常に荒くなるということを感じ取らなければならないということだった。異質な空気を感じ取った場合はすぐに姿勢を正し申し訳ないように表情を作り謝罪の意を表明しなければいけない。大抵の場合はなぜ気分を害しているか分からないので「何故気分を害しているのか」と問い詰められる。「わかりません」とか細いように声を調整して発声し「お前があのときこうしたからだ」と激昂して怒鳴られてひたする謝罪の言葉を述べる。

「謝ったら済むと思うのか」と何度も激昂されても反抗は許されない。反抗した瞬間にさらに言語の射撃スピードが上がり手が付けられなくなるからだ。耐える時間を最小限にするためには謝罪を繰り返し必要以上の言葉を述べてはいけないのだ。

 

さらに自分のこうしたいという意思は幼少期にはあったと思うがことごとくそれは改変されたものとなった。「何かをしたい」という意思は親にとっては不快だったのだ。

親の「こうしたら?」という提案は「こうすることが最適解なのであるからしてお前に拒否することは許されない、そうしろ」という提案に置き換えられた。

結果として中学校の部活から受験する大学、大学受験が不合格であった時の感情でさえ親が決定した。時には自分の重大な方針は母親が通う占い師が決定した。自分もそれでよかったのだその時は。その決定に従うだけで小康状態を少しでも延ばすことができた、Progression Free Survivalは間違いなく延長されていた。

 

今の自分はそこから全く立ち直れていない。究極の指示待ち人間になり、上司の表情を窺い機嫌を害さないように足音を潜ませ、こういう研究をしろ、という指令を忠実に施行することしかできなくなってしまっている。今は強権的な独裁国家に在住しているがこんな人間はこんなところにいるしかないのだ。

 

徐々に仕事でも「お前は何がしたいのか」ということを今度は求められている。

意思があるかどうか自分にもわからないのだ。「何がしたい」と思うことを既に感じ取れなくなっているので最早どうしようもない。

少しずつ自分が思ったことを拾い上げないといけない。

 

人間になる前に本当に大事なものをたくさん失ってしまったし、なりたてのときもたくさん失ってしまった。意思を感じることをしようとしなかったことが全ての根源だ。

 

親とのかかわりは絶ったがずっと影響は宿り木のように残っている。影を落としてずっと潜んでいる。あと半年で少しでも改善しなければまた就職活動に響いてしまう。

今年は本当に正念場だ。